takuyamakitaの日記

牧田拓也のメディア的な徒然草

歴史の多く詰まったベルリン

9/21 ☁のち☼

 
今日は夕方プラハへ向かいます。それまでベルリン観光です。
いけたらポツダムも行きたい)
9時半にホステルを出てベルリン観光へと向かいました。
この時はまだポツダムまで行く気満々で、ベルリンをなめています笑。)
 
最初に向かったのは、ベルリンと言えば真っ先に上がるであろう、ベルリンの壁へ。
先日も記述しましたが、ドイツは列車が大変発達しています。
ローカル線に乗ってベルリンの壁近くの駅(Nordbahnhof)まで行きました。

駅自体が観光スポットのようになっています。ここは当時ゴースト駅だったそう

 
そう聞くとかなり怖いwちなみに現在のプラットフォームはこんな感じです。

 
確かに夜になったら怖そうだw
それはさておき、ここからは真面目な話へと入っていきます。
これが当時の地下鉄路線図。Uのマークはドイツの地下鉄U-Bahnのことです。

 
分かりますかね?薄くなっているの。
要は東からすると西に人を移動させたくない。
列車はその移動手段として適しすぎているものだったために、このような仕様になっているのです。当たり前ですね。
お互いが別国家のようなものだったのですから。
 
そしてここがその東西を別け隔てていた壁の一部。場所的にはここは北の方になるのかな?

You are here. と書かれている場所です。こご今回行った西陣営と東陣営を別け隔てていた壁になります。見えづらくて申し訳ないのですが、下の方に赤い点が見えると思います。

 
壁の破片やら当時壁だった跡がはっきり見られます。

 
当時数百名の方が西に行こうとして射殺されたそうです。その方々の遺影もありました。

 
裏手には、東西に別れた時からの犠牲者のものであろうお墓が。

 
ステキなところなので天国では笑顔でいらっしゃるのではないでしょうか。
最後に全体像をパシャり。

 
大体の方がご存知だと思いますが、簡単に当時の歴史を遡ってみたいと思います。
ドイツを東西を分ける要因となったのは、端的に言えば第二次世界大戦です。
日本史でも習いますが、1945年にベルリンのすぐ近くポツダムの地にて戦争が完全に終了します。
日本は島国で、また広島や長崎、沖縄、東京など全国で被害は甚大だったものの、大きく占領されることはありませんでした。
そのため日本は幸運なのかは分かりませんが、GHQによる日本の立て直しだけで済みましたが、ドイツは違います。
ドイツは当時のフランス、ベルギーを始め様々な国と近くに位置していました。(もちろん今でもそうです)
そのため戦争が終了したと同時に首都であるベルリンが、
フランス、アメリカ、イギリス、ソビエトの4カ国により分断されることになります。
これでわかりますかね?そうです。唯一ソビエトのみ社会主義国
戦争ではこの4カ国は味方でこそありましたが、戦争終了後は違います。
ソビエトはドイツから攻撃を受けたのを機にアメリカ陣営に途中参戦します)
社会主義国vs民主主義国が激化したのです。それもそのはず。
日本もしかり、ドイツ、イタリアは社会主義に走り戦争をせざるを得なくなり、結果として日独伊の三国は戦争に負けた。
さあ全世界で民主主義を始めようではないか!
そうなるはずでしたが、ソビエトがこの第二次世界大戦を機により強くなってしまったのです。
そのため当時4国で分けたベルリンではありますが、
民主主義国である3国vsソビエト社会主義国という図が出来上がってしまった。
 
おっといけない。ついつい歴史好きが過ぎました。
まあつまるところ、WWⅡによりベルリンの壁が作られ、冷戦が終わって壁が壊されました。
ということは、ベルリンを学ぶということ=WWⅡ(細かく言えばWWⅠにはなるが)から冷戦終結までを学ぶこと。
ベルリンには非常に濃い歴史が詰まっています。
これは歩いていて肌で感じました。
というのも、記念碑やモニュメントがベルリンの至る所にあったからです。
これはあらゆる戦争の地となったベルリン(ドイツ)が戦争を忘れないための工夫の一つでもあるのでしょうか。

 
話を元に戻して、ということはポツダムも見たい!歴史好きの僕はそう強く思ったわけです。
確かにポツダムまではベルリンから列車でたったの30分。
全然行けるが、ポツダム宣言のなされた場所は駅から歩くとまた20分以上はかかるみたい。
そしてベルリンはまだまだ歴史関連で見るべきところはある。
これではあまりにも時間がなさすぎる!汗 ということで今回は断念しました。
ポツダムの様子を少しでも期待してくださっていた方、ごめんなさい。次回に乞うご来たいw
しかし今回はとてつもなく悩んだので、ポツダムは必ず行きます!
しかももっと学んでから行きます!そう誓いました。
 
そうして次に目指すは、Topography of terrors
そのすぐ隣にマーティングロピウスの建物がありました。当時の国会的なやつ。

 
首と足がない像が正面にいました。

 
さてTopography of terrorsです。
ここにはベルリンの壁ができる背景から壊れるまでのエピソードが当時の壁に沿って綴られています。

 
印象的だったものをいくつか紹介します。
まずはKoepenick blood week。要はナチスに反対する邪魔者の排除ですね。これにより若い命も失われました。年齢は24歳。僕とほぼ変わりません。

 
本も燃やされました。
教育を制限していたんですね。ナチからすれば賢くなってしまっては困りますからね。

 
1937年の祝日。

 
こにに来て初めて知ったのですが、実は当時迫害されていたのは、ユダヤ人だけではありません。

実は、写真のように同性愛者も強制収容所へ送られていたのです。 
ヒトラーの人種に対するイデオロギーは、同性愛を国家の敵として烙印を押したのだ。
1935年にナチスは同性愛を犯罪として見なし、取り締まるようになる。
そして数十万人が、悲鳴を上げ、苦しみながら殺されていったそうです。
これはかなり衝撃でした。しかも調べてみると、2000年まで政府による謝罪もなく、
それまで同性愛であるが故に迫害をされ続けていたのだとか。驚きを隠せません。
 

これはユダヤ人を下級市民と見なし、ユダヤ人から政治的権利を奪った法律です。
また、ドイツ人との結婚や婚外交渉も禁じられました。
 
薬物実験。たった6歳の女の子も犠牲になったそう。
殺害された日付もわからないそうです。ひどすぎる。

 
そして1938年に突入。
ここから皆さんもご存知の反ユダヤ運動がさらに活発化されていきます。

 
そしてキャッチャーと呼ばれる、ユダヤ人を捕らえる人たちが登場します。
家族を守るためにやらざるを得ない状況にあった人が多かったそう。この女性もその1人。

戦争後は投獄され、最終的には94年に自殺したそうです。
本当に辛い人生ですよね。想像したくもないです。。
 
45年。戦争が終わります。
マーシャルウィリアムがベルリンにて降伏を宣言しました。

 
戦争が終わってもドイツ・ベルリンはまた戦いに巻き込まれることになります。冷戦ですね。
国同士の戦いももちろんひどいものですが、それと同様に許せないものを発見しました。

 
ソビエトの兵士が戦争に勝ったことをいいことに女性に乱暴を重ねたそう。
被害者は2000人に及んだそうです。ひどい。
 
最後になりますが、こちらはベルリン内にあるモニュメントの数です。300以上あるらしい。
そりゃ歩いててたくさん見るわけですね。

 
次はパノラマ"The Wall"へ。何が見られるのかとワクワクしながら向かったのですが、
着いてびっくり。入場料がとられるそう。
きっと当時の壁をデジタルで再現して、それを見られるのだと思います。

 
その代わり周りに面白いものをいくつか発見しました。

 
この信号よく見てください。いつもと様子が違います笑。ドイツでは大変有名なのだそう。

アンペルマンと言います。ベルリンのどこかにこの専門店もあるそうで、女性に大変人気だとか。
僕はあまり興味ないので、今度もし女の子と来ることがあれば行くことにします笑。
 
このパノラマの近くには観光スポットが密集してました。
これは当時のアメリカ軍のチェックポイントだったところ。要はソビエト軍との境界線ですね。
 
ここはブラックボックス冷戦。
当時の壁そのままっぽいものが置いてありました。

ちなみにベルリンは馬も走っています笑。

 
次に向かったのはドイツ歴史博物館。
中には面白い人がいました笑。
勇ましい!

 
さて、お次は歴史から離れて世界遺産でもある博物館島と、ベルリン教会
まずは教会から。すごいキレイでした。いろんなら角度から撮影を試みましたがイマイチぴんと来ない笑。
周りの方もどこがベストポジションか、探り探り撮影していました。

ここからは世界遺産でもある博物館島の紹介になります。
まずはオールドミュージアム。これは教会の隣にあります。

 
お次はオールドナショナルギャラリー。馬が特徴的です。

横にもいました。

 
その隣にあるのがニューミュージアム

その目の前にいたこいつが印象的でした。なんかライオンがすごい格好してますよねw

 
そこから少し歩いたところにあるのがペルガモンミュージアム一番人気だそうです。工事していてあまりいい写真ではありませんが、ご了承ください。

 
最後はボーデミュージアム橋と川の近くにあって個人的にこの中で一番好きな博物館です。いい写真が撮れたので笑。

以上の5つの博物館を合わせて博物館島といい、世界遺産となっているそうです。 

ベルリンと言えば!で壁の次に出てくるのがブランデンブルグ門ではないでしょうか。実際に行ってみました。

夜だったらもっといい写真が撮れそうな気がします。
 
本物の馬と併せて撮ってみた。馬、何を思う。

  
そして、列車の時間も迫ってきたので少し急ぎ足で向かったのが、
殺害されたユダヤ人の方々の碑です。

 
分かりますか?どこも若干地面が波打っています。
そのため、ある角度から見ると誰もいないように見えても実はいるという不思議なことが起きる。

 
最後は王宮
近くにいくためには予約が必要だそうで、(おそらくお金もかかる)これが限界でした。

 
王宮の前には大きな広場があります。すごい気持ち良さそう。

 
おまけっぽいですが、一応ベルリン行ったよという証明代わりにベルリン中央駅の写真を最後に笑。

 
そして急いでホステルへ荷物を取りに戻りました。何とか列車の時間にも間に合い、プラハにも無事着けそうです。
  
結論、ベルリンをなめてはいけません笑
もちろん舐めてはいなかったのですが、まさかベルリンにこれほど楽しめるところだとは思っていなかったのです。
 
僕の乗った列車、途中ドレスデンに止まるのですが、乗客のほとんどが降りた。列車内にいるの数えるくらい笑。びっくり。
写真撮り忘れました。ごめんなさい。
それもそうか。今日(9/21)は平日。ドイツ国内の移動で使っていた人が多かったのでしょう。
 
ちなみにチェコはユーロでこそありますが、€を使っていません。
なので両替をしなくてはいけないのですが、この時1ユーロ27czkくらい。
チェコは物価も安いと聞いているので、実質的にはあまりユーロを使わなくて済みそうなのでとても嬉しいです。
だからといって贅沢はしないように気をつけます笑